コラム


アトリエ・キュウの話(その1) 

 事務所をはじめて20年経ちました。まあ、よくやっています。(自分で言うのもなんですが)。
いわゆる、アトリエ派の設計事務所はよくぞ生きていると思うような給料でやっています。
稼ぎが少ないのです。なぜ?おいおいどこかで話しますが、同業のホームページで語っているところがあります。
理由はいろいろですがあまり大差がないように思います。
(こういう設計者は騙すようなまねは絶対にしませんし、かなり良心的な事務所です。絶対。
ただし、ちゃんと付き合わないといけません。中途半端はお互いに良くありません。
このへんもいつか話します。当然自分のことを言っていますが、そうじゃない方もわずかにいるかも知れません。たぶん。
 自慢?と脅し?みたいな話になってしまいましたが、
単純に、設計料以上の「こと」(時間を多くとること)をしているということです。
 時間をかければよいものができるという幻想?をもっているのです。
1案よりは2案、2案よりは3案、360度の可能性を探る。
注文者(施主)にとって本当に一番良いものとは?これでよい?のかと。
それは、才能の時代になる前の、「体力が勝負」の時代に生きてきたものの「さが」なのかもしれません。
 時間をかけなくてもよいものはきっとできるでしょう。
ただ、時間をかけなければできないものがいっぱいあります。
時間をかけただけ「もの」にちゃんと「エネルギー」がしみこみ、ひかり輝くと、そして語りかけ、感動を生むと。(故吉阪隆正先生の談)。(かけ方の方法はいろいろありますが、ここでは省略)
つまり、経営的には人件費倒れになってしまうのです。(設計事務所は80%が人件費)。
締め切りがなければいつまでも、いつまでもやっているのでしょうね。たぶん。
(幸いにいつも締め切りがちゃんとあります。)これが稼げない(いや稼がない?)おおきな理由。
そう、次におおきな理由は設計業務に対する報酬(設計料)がなかなかに(ちゃんと)いただけないことです。
できればお安く、ただであればBESTと思っている方が多いこの頃、
(頭脳だけでなく、体力もけっこうつかっているのですが)(えんぴつ持ってただ絵を描いているだけじゃないんです。)
「設計料でもっと高いキッチンが買えるわ」と思う施主もいますが。
(実際そう言われた方はいませんし、そんな素振りの方もいません。仲間の話を聞いただけですが。)
ましてや、工事の予算が厳しく、施主の懐具合を知ってしまったら、
「すいません、このぐらいかかりますが」と割り引いて出してしまう。
「事情をかってはいけない」と諸先輩から言われますが。
最初からどうどうと「このぐらいかかりますよ、内訳は・・・・」と説明して、ダメならしょうがない。
プロは安売りはしない。と、気持ちはいつも思っていますが・・・。。
だいたいの方は「設計料はどのくらいかかりますか?」と最初に聞いてくる方が圧倒的に多いです。
(同業のホームページで設計料の説明がどこでもちゃんとありますし、払っただけのメリットは充分あります、むしろ安いですよ。と解説してあります。まったくそのとうりです。)
(そう説明しなくてはいけない状況が多いんですね。この業界。なかなかちゃんとくれないんです。ね。
みんな同じ状況なんだなぁと変に安堵感、そして、がんばっている仲間がまだまだいるぞと、自分を励ましています。)
(つまり、あまり稼げない。そういう事務所が多い。まともにやればやるほど、辛くなる(経済的に)。
でもやめられない。)
 建物は単品注文生産、設計は国語とおなじで算数みたいに正解がひとつだけではありません。
いろいろな「解答」があります。
それらを比較するとよいのですが(コンペ-設計競技なんかがよい例かな)、
内容のよさと注文者(施主)の好みによってほぼ選択され決定される。
(コンペの審査員によるのと同じかな)。
つまり「最終的には住宅は注文者(施主)の度量やセンスによって決まる」と言い放ったMM氏の言葉には一理あります。(普請道楽などと言う「施主」はほとんどいません。施主ではなく注文者なのですね。)
なにが言いたいかと言えば設計の内容の評価を注文者(施主)が行うので(あたりまえです)、
その評価に疑問をもったら仕事として成立しない。出番はなくなるわけです。
注文(施主)のいいなりにやる。いわゆる図面屋に徹することもできますし、
やりながら理解してもらう方法もあるのじゃないか、などと自分に言い聞かせて
(理由付けはいろいろ出来ます)仕事にすることもありますが、当然ストレスはたまります。
(技術的に重要なことや監理等のエンジニア的問題解決はデザインによって違ってきますが基本的条件です。)
(たまらないひともいます)。
なんだかんだ最終的にうまくいかなくなってしまうことが多いです。
 注文者(施主)との出会いが大切です。
最初は「お見合い」です。ある時期になったら「おたがい、いしょにやりましょう」でスタート。
 最近は設計者と注文者を「仲介」するところが出てきました。「出会いサイト」ですね。
 ホームページもいわゆる「出会いサイト」ですかね。一方的な放談?パフォーマンス?mg2か?。(設計事務所のサイトはどこの分類に入るのかな?建設・不動産。サービス業。出会い系。)
この「商売」、建築の設計を「する」ことはずーっと続きますが、
いろいろな注文者(施主)に出合え、それぞれの住まい方、価値観、人生観とかに接し、
(あたりまえですが)それぞれの「建築」ができます。スタートから竣工で一区切り。
そしてまた、最初の出会いからスタート。と。
例えば「住宅」「温泉施設」「保育園」「宿泊施設」{公園施設」等々それぞれ、「住まう」って何?、「くつろぐ」って何?
「保育」って何?何?Why?等々と「問いかけ」からはじまり、それを埋めたり、発掘したりしながら「建築」を設計(デザイン)していく喜びは一度「味わう」とやめられません。
(IT氏の名言:これで儲かったらこの商売ぜったいやめられないね。)
特に「住宅は(注文者(施主)の)肖像画です」(ON氏)の言葉は大当たりのすばらしい言葉。
 友人や親族が「おまえらしい家だね」とか「住んでいる人のひとがらがでていますね」とか
「お似合いのお家ね」などは大成功です。それまでの苦労がすっ飛びます。設計者としての醍醐味です。
肖像画も写実的なものからいろいろありますが本人を知っているひとが見れば「そのひと」らしいのでしょうね。
(話はそれますが、40歳?過ぎたら自分の顔に責任?もて。なんて言葉ありましたね。)
そして(これがけっこう重要です。)本人を知らないひとが見ても「いいね」「すばらしい」「うつくしい」とか魅了してしまうことです。(ひかりかがやくと言うことでしょうね)
 そんなことで、なんだかんだと20年間過ぎました。そして、何人かがおなじ考えで(デザインは違うけど)やっていけば、世の中少しずつよくなっていくと思っているのです。
(建築は愛なのです。故吉阪隆正先生)
 20代ひよっこ、30代は見習、40代からやっといちにんまい、50代にあぶらがのる。
てな、話、むかし聞きましたが、この仕事、日々の積み重ねが重要なことだけは正しいです。
(重ねるものが多すぎるのか、経験がものを言うのか、やっちゃいけないことをおぼえるのか、
ああせいこうせいはいっぱいありますが)。
また、小さな組織?ですのでひとりよがりになりやすい。(HG氏の言葉:独立しても孤立するなかれ。)
いろいろ言ってくれる先輩、友人は重要です。
そして、コゴトと批評、またいつまでも?励ましの拍手をくれる女房も重要かな。
(独身がいけないと言っている訳ではありません。念のため)。
 明るく健康的に設計すること(結構暗い人多いですよ)。ひとのマイナーな部分をフォローしていくやさしさと思いやりを大事に設計すること。
また(監理の仕事は重要です)工事施工者には恐れられる監理を目指しています。(しょうがないはなし。うそは許さん。ものづくりの気持ちを大事に。挨拶と腕はちゃんと。それぞれの職種をだいじに、職人の仕事をだいなしにするやつは犯罪だ。etc。と現場の言葉はいっぱいあります、これは先輩後輩の間での伝言でもあるのです。)
次の世代に伝えることができる職人衆の「わざ」と「ちから」をちゃんと「もの」にしていくことが重要です。
 振り返るには早過ぎる20年ですし、まだまだ未熟です。が、いろんなことが少しずつわかってきた20年間でもあります。また、「Q]を卒業して独立して頑張っている弟子?がでてきました。
うれしいです。私も元気が出てきます。
そして、「Q」をいろいろ育ててくれた、注文者(施主)に感謝。
(この気持ちを味わうと足が洗えなくなり、魔力に取りつかれてしまうのです。)
 (阿部)   2001/08/07 2004/04/20に加筆訂正
(読みにくかったので、字体、段落を変えました。2001/08/11)